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PROFILE

プロフィール

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MY STORY
僕の人生

子供のころ

両親ともに教師の家庭に生まれ育つ。
夢想に耽(ふけ)っては読書をする少年。8歳からクラシック曲の作曲を始める。

小学生の頃から「なぜ、皆、高校に行くんだろう?」と疑問に思っていた。たびたびそれを口にするが、その度に周囲には「皆行くものだから」と諭された。

中学を卒業する頃には『自分のやるべきことを見つけて、自分の人生を自分で選択するようになりたい』『なんとなく高校に行くのだけは嫌だ』ということを考えるようになる。

10代のころ

中学卒業後、高校へ進学はせず、音楽に熱狂し没頭する。

音楽活動と、企業経営は似ている。『自分が世の中に対して訴えたい想いを形にして、人や社会の笑顔を創造する』という大きな共通点がある。

そんな起業家としての根本的なマインドを醸成したのが、10代の頃にのめりこんだ音楽活動かもしれない。

そして、僕は海外へ渡ることを夢見た。高校にさえ行かなかった僕にとって、成長の場となり、挑戦の場となる舞台が海外にはあるのではないかと夢想した。でも、その夢は叶わなかった。

海外に渡る手段は主に2つ。「留学」か「就職」だと思う。10代の頃、僕にはお金がなかった。英語も一言も喋れなかった。留学なんて、お金持ちの家に生まれた人が親にお金を出してもらって行くものだ。そう思って、諦めた。

就職なんて、海外では英語が既にペラペラの人しかできるわけがない。そう思って、諦めた。

あの頃の「海外に行くことができなかった」という一つの挫折が、今振り返ると、僕の起業家としての道の第一歩だったのかもしれない。

20代のころ

20代に入ると、現実社会の壁にいくつもぶつかった。

音楽活動にどれだけ邁進して「良い音楽」を作ることに魂を注いでも、それを「お金に変える術」を何一つ知らなかった。

だから、良い音楽を地道に、愚直に、作り続けていれば、いつか何かが起きるだろうと漠然と思っていた。

結局、その日は来ないまま、僕は大人になり、仲間たちも大人になっていった。

気が付けば、一緒に活動する仲間もいなくなっていった。

生きていくためには、とりあえず、お金を稼がないといけない。

「やりたいこと」だった音楽でお金を作れなかった僕は、「やりたくもないこと」である仕事を入りたくもない会社に入って、割り切ってお金を作る。

音楽の道は閉ざされ、海外の道は断念して、20代の僕にはもうやりたいことなんて何もなかった。

ただ、やりたくもない仕事をこなす毎日。でも、そんな僕にも、「大切な人」がいた。それは、目の前の、上司だったり、同僚だったり、家族だったり、友人だったりした。

今、自分がやりたいことがなくても。いや、ないからこそ。その「大切な人」たちに応援してもらえるようなことをしよう。その「大切な人」たちが笑顔になってくれるようなことをしよう。全力で。

そう思えたその日から、僕の仕事観は大きく変わり「お金のために仕方なくやるもの」から「自己実現するもの」「誰かを喜ばせられるもの」となった。

そして、目の前の仕事で結果を出し始めてから、それまでは考えたこともなかった「やりたいこと」が自分の胸の中に少しずつ息吹いてきた。

それは、自分の会社を立ち上げる。起業家としての人生を生きること。

30代の今

断言できることは「幸せ」だということ。

今、やりたい仕事だけ、やりたい人たちとやって、住みたい場所に、一緒に住みたい人と暮らしている。

セブ島と東京を中心に、毎年海外を何ヶ国も周りながら生活している。

「英語学校」「日本語学校」「コールセンター」「オンライン英会話」「観光ツアー」「IT開発」など、数々の事業を手掛け、斬新なアイデアと切り口でイノベーションを起こす。

今後10ヶ国での事業展開へと拡大を目指す。

また、オーナーとして主催するオンラインサロン「0円起業塾」を立ち上げ、世界で活躍する人材を輩出していく。

これからも信じた道をひたすら突き進む。

INTERVIEW
早川諒への5つの質問

Q1:得意なこと、強みは?

起業家やフリーランサーの中には、自分一人で総てをやれる人も多くいるかと思います。でも僕にはそれはできない。僕は、社員や仲間たちと、共に悩み、共に喜び、苦難を乗り越え、結果を出して感動を分かち合う。そんなチームを創りあげていけることこそが最大の強みだと思っています。

Q2:海外に目を向け始めたきっかけは?

初めてフィリピンに来たときです。

それまで、海外といえば先進国に旅行で行ったことしかなかった僕には、目に映るものすべてが衝撃でした。

フィリピンの首都圏の中心地は東京と変わらない大都会。その大都会から車で10分ほど離れると見たこともないスラム街。路上で眠る家族。物乞いをしている大人たち。痩せ細った手を差し出してお金を要求してくる子供たち。彼らに囲まれながら、少し見上げると、すぐ近くに立ち並んでいる最先端の高層ビルが見える。

こんなにも大きな隔たりがある世界で、僕に何ができるだろう。僕は何に貢献できるだろう。

やがて僕は一つの答えを出しました。それは、「教育」だと。

海外に出ると、貧困、飢餓、健康、教育、差別、など日本では直面しないあらゆる問題にぶちあたります。

日本の常識は通じない。日本の概念は通じない。

だからこそ僕は、海外で、世界で、勝負をしていきたい。そして、僕らが手掛ける「教育事業」こそが数々の問題を解決していく大きな光となっていく。その光で世界を照らしていく。そういう挑戦をこれからもしていきたいと思っています。

Q3:講演家になった理由は?

20代のとき、夢を失い、未来のことを考えず、やる気もない。そんな時期がありました。それでも僕にもう一度夢を描かせてくれた人たちがいた。振り返ると、その人たちの放つ想いと言葉が、僕の人生を大きく変えてくれた。言葉にこそ、焔(ほむら)が宿る。誰かの言葉で、人生って変わるんだ。そう思えたんです。だから今度は、僕が君にとってのその「誰か」になりたいという思いで、講演家としての活動をスタートしました。

Q4:好きな言葉は?

「Make the impossible possible」= 不可能を可能にする

初めてセブ島で雇ったフィリピン人スタッフが、僕という人間を表現するときに使ってくれた言葉。「誰かのためにやり遂げる力の強さを、僕は信じている」 自分一人では実現不可能なことを、誰かのために動くことで実現させた奇跡に人生で何度も出逢ってきたから、今でも大切な言葉です。

Q5:ライフスタイルで大切にしていることは?

今、世界中の人たちが、どんどん仕事とプライベートの境界線が、いい意味でなくなってきていると思います。

起業家はもちろん、サラリーマンの方も、休日に副業で稼いだりSNSやYou Tubeで発信をしたり。本業と副業の境目もどんどんなくなってくるでしょう。

僕もそう。
今の僕にとっての仕事とは「自分がやりたいことを実現させていくこと」なので、人生のすべての時間が仕事と言える。逆を言えば、人生のすべての時間がプライベートかもしれない。

遊ぶように仕事に没頭し、真剣に熱狂して遊ぶ。そんな時間を過ごしていきたい。

そのために大切なことは「勉強をし続ける習慣を持つ」こと。

勉強しないから、仕事もプライベートもマンネリになり、会話が減ったりしてしまう。常に新しいことを学び、自分を向上することで、生活の総てが豊かになる。だから僕は学び続けたいです。

MESSAGE
メッセージ

大きな夢や理念を持って考え抜いた計画を実行に移すとか、そんなこと考えなくていい。

まずは、今、目の前の第一歩。

その一歩の積み重ねでしか遠くには行けない。

しっかりと目をこらすと必ず目の前に道はある。

やりたいことがなければ、まずは目の前の大切な人が喜ぶことを全力でしてほしい。

無計画で歩き出す君を人は笑うかもしれない。馬鹿にするかもしれない。そんなの無理だよって止められるかもしれない。

それでもその一歩を踏み出す君を、僕は応援しています。

WORKS
講演実績

  • 東京都 道路工事調整協議会
  • 一般社団法人 WAOJE
  • アクセンチュア株式会社
  • 株式会社フジナガ
  • 株式会社アーク・スリー・インターナショナル
  • 立命館アジア太平洋大学
  • フィリピン留学フェア
  • 強かわいい女塾
  • 夢経営サロン